四の橋の道場で名乗り出た死霊倉吉
どんな伝承か
気合術で健康を取り戻した著者は、再婚して大阪市へ移ったが、そこでも病気や災難が続いた。縁あって知った法華寺の住職に、死霊が憑いているから封じなければ不幸は止まないと言われたものの、当時は信じられず、東京へ戻って入院した。入院中に親しくなった人の紹介で、麻布四の橋にある法華行者市原泰修の道場へ通い、題目を唱え始めると、合わせた両手が激しく震え出し、涙とともに恨みの言葉が口をついて出た。著者はここで住職の言葉を思い出し、死霊の憑依を初めて悟った。霊は「倉吉」と名乗り、二百年ものあいだ家を呪ってきたと語ったという。倉吉が浄められた後も、浮かばれない親戚の霊が次々に現れたと記している。
原典より
その死霊は「倉吉」と名乗り、二百年もの長い間私の家を呪い続けたとのことでした。—— 心霊の開発 ― 神のしくみ(福田倉子・心霊修行・霊媒・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊の開発 ― 神のしくみ(福田倉子・心霊修行・霊媒・1966年(昭和41年))
『心霊の開発 ― 神のしくみ』は、千葉で浄霊真手道場を開いた霊能者の福田倉子が、自らの霊的体験をまとめた本であり、昭和四十一年一月付の跋文を付す。気合術や法華行者・身延山の上人のもとでの修行、千鳥会の降霊会、霊媒として死霊や生霊、動物霊に向き合った事例、真手による浄霊と天福地蔵尊の由来などを記す。第一部「心霊へのみち」から第五部「神のしぐみと使命」までの五部に分け、あとがきと坂田武俊の跋文を置く。