牛込の九鬼家へ移された霊媒
どんな伝承か
大正九年十月二十六日、友清歓真は易学者の九鬼盛隆と連れ立って宇都宮へ向かい、心霊研究家松川勇の家で開かれた本田亀次の憑霊実験会に審神者として臨んだ。松川からの依頼状に応じたもので、五日滞在して調べた末、疑う余地のない高級な神憑りであり、名乗る神々の素性も正しいと見て二人は帰京する。やがて霊媒の本田は牛込若松町の九鬼家へ引き取られた。九鬼が審神者、本田が神主となって神憑法を重ねるうち、神々から次々と神話が下され、大正十二年一月の本道宣布会の旗揚げにつながったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。