分家の子らを襲った脳膜炎
どんな伝承か
明治三十年の四月十五日午前二時、笠井家の分家、笠井正夫の四男四郎が脳膜炎で亡くなった。その翌日からは四郎の姉で六歳のきよも同じ病にかかり、熱は四十度を超えて、分家はたいへんな取り込みとなった。本家の三男鎮夫が七月に同じ脳膜炎で倒れたのはその直後のことだったため、本家の者は皆、鎮夫も助からないと覚悟していた。それでも神の加護で鎮夫は早く快方に向かい、家族は互いに笑顔を見合わせることができたと、父の笠井吉夫は手記『御神蔭記』に書いている。
原典より
而シテ去ル四月十五日午前二時、分家笠井正夫ノ四男四郎ガ同病(脳膜炎)ニテ死去シ、其翌日ヨリ四郎ノ姉ナルきよ(六歳)モ亦同病ニ罹り発熱四十度ヲ超エ、分家ニ於イテハ非常ニ取込ミ居タリ。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。