百十五歳の定命と教祖の死
どんな伝承か
教祖みきの病状は旧暦一月二十六日になっても良くならず、神からは禁じられていた神楽勤めを行えという催促が強まった。弟子たちは、おふでさきに正月二十六日を待てという歌があるのを思い出し、今日こそ何か起こると恐れ、官憲をはばかって控えていた鳴物まで入れて勤めを行った。教祖は休息所で満足そうにその音を聞きながら、明治二十年二月十八日の午後二時に九十歳で息を引き取った。ところが教祖は生前、百十五歳の定命を保つと明言しており、信者もそれを固く信じていたため、予言との間に二十五年の食い違いが生じ、信者の間で大問題となった。
原典より
教祖は生前中に「百十五歳の定命」を保つことを言明していたため、信者は誰しも教祖さまは百十五歳までご存命になるものと堅く信じきっていたのである。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。