激流を渡り天狗と疑われた男
どんな伝承か
大雨で増水した川の、渡らなければどうにもならない地点に来ると、橋は川中の大岩から手前半分が跡形もなくなっていた。腰の上まで浸ると足が水に持って行かれ先へ進めない。考えていると、小ぶりの電信柱ほどの流木が流れて来たので、これを岩の上流側の凹みに押しつけ、端にしがみついて押し出て行く徒渉法を思いついた。首から下は水の中となりながら大岩の上に這い上がった。湯ノ倉温泉にもどり服をしぼっていると、湯浜温泉の親父が戻ってきて、じろじろ見まわし、あの川をどうやって渡ったのかと聞く。なんでもないと笑ってみせると、親父は「あそこが人間に渡れるはずがない、天狗様じゃないのかな」と口の中でつぶやいていたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
山とお化けと自然界(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1990年(平成2年))
『山とお化けと自然界』は、西丸震哉が旧著三冊を編み直し、一九九〇年に文庫版あとがきを付けた随筆集である。山や湿原の探検、チョウや小動物とのつき合い、酒の話とともに、横尾谷の岩小屋で出会った幽霊、木曾御岳の人魂、亡兄との交信、テレパシー、呪い殺しの実験、雨やみの術など、著者自身の体験した怪異をつづる。生き物・酒・山・兄との交信の四部からなり、あとがきに『未知への足入れ』『山だ原始人だ幽霊だ』『山の動物誌』を元にしたと記す。