大豆畑を荒らした神馬の塚
どんな伝承か
糸崎八幡宮に仕える神馬が一頭、いつの頃からか夜ごと糸崎谷へ現れては、畑の大豆を食べ荒らすようになった。神の馬のすることだからと土地の人々は手を出せず、じっと堪えていた。ところがある時、一人の百姓が神馬を打ち据えて死なせてしまった。人々はその亡骸を手厚く葬り、その場所を馬神塚として祀った。それからというもの糸崎谷では大豆作りを避けるようになり、もし作れば必ず祟りがあると語り継がれてきた。かつての糸崎日赤療養所のそばにある小さな祠が、この馬神塚だといわれる。
原典より
そして、その後糸崎谷では大豆を作ることを忌み、作ればかならずたたりがあると言い伝えるようになった。—— 三原市史 第7巻 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三原市史 第7巻 民俗編
『三原市史 第7巻 民俗編』は、三原市の市史の民俗編のうち「三 伝説」の節だけを収めた部分で、番号を付けた十二の伝説から成る。糸崎八幡宮の神馬を祀った馬神塚、夜泣きの松、福島正則の命で伐られた大楠、山ん婆の足跡、蛇のヤムシロ、餅を搗かない家、干拓の人柱となった甚五郎など、市内各地の伝説を収める。各話の末尾に「書出帳」『三原志稿』『三原昔話』『沼田地方の伝説』や土地の伝承など、拠った資料を記す。