志津の砦に火を放ち夫を追った胤氏の妻
どんな伝承か
鎌倉の建長寺で育った竹若丸は、成長して足利尊氏に従って手柄を立て、本領の臼井へ戻った。尊氏は志津胤氏に、領地を竹若丸へ返して家臣として仕えよと命じたが、胤氏は面白くなく、かえって敵意を見せた。竹若丸は今討たねば禍根を残すと考え、臼井城の堀をさらうと偽って志津の兵を借り出し、その隙に志津の砦を攻めた。兵のいない胤氏が妻子を殺して自害しようとすると、妻は、殿こそ先にご自害をと諫めた。胤氏が腹を切ると、妻は亡骸を櫃に納めて城に火を放ち、薙刀を手に打って出て敵を数人討ち取り、夫の後を追って討ち死にしたという。
原典より
妻は、これを櫃に納め、城に火を放って後、なぎなたを取って城門を開き、切って出た。—— 佐倉市史 民俗編――伝説・怪異(佐倉市(編)・佐倉市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
佐倉市史 民俗編――伝説・怪異(佐倉市(編)・佐倉市史)
『佐倉市史 民俗編――伝説・怪異』は、千葉県佐倉市の市史の民俗編のうち、第七章「民俗知識」と第八章「口承文芸」の伝説の節である。市内で採録した吉凶の予兆やまじない、民間薬、天気の言い伝えと、狐や狸の化かし、デーダラボーの足跡、岩富の首なし塚、天狗、狐火、印旛沼のカワボタルなどの伝説を収める。伝説は文化財保護委員会の分類に倣って自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説に分け、終わりに村々の禁忌を置く。