黍だけを持っていた六部の死と黍平
どんな伝承か
夕暮れの鎌倉街道を疲れた六部がたどり、馬の背峠の手前、北日名の農家に一夜の宿を頼んだ。善光寺へ参る途中だという六部は旅の話で家族を夜更けまで楽しませた。だが主人は、その物腰や荷物から大金を持っているに違いないと考え、眠れぬまま夜を明かした。早立ちした六部の後を追い、峠の峰近くの南西に開けた平らな所で組みついて殺してしまう。ところが奪った荷を開けると金はわずかで、ほとんどが黍だった。こぼれた黍はその後も毎年夏に芽を出して秋に実り、六部の魂が生きているかのようで、この平は黍平と呼ばれるようになった。
原典より
この黍がこぼれて、そこには毎年夏になると黍が生えて秋には実り、ちょうど六部の精霊が生きているようである。—— 坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説(坂城町(編)・坂城町誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説(坂城町(編)・坂城町誌)
『坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説』は、長野県坂城町の町誌上巻(自然編・民俗編)から、民俗編の数章を抜き出したものである。祟る所や神罰、ヒトダマ・狐火などの怪異、魔除け、植物の禁忌といった俗信を地区ごとの事例として番号を付けて並べ、続いて甘利さま、天田長者とほうず池、苅屋原の七不思議、貉和尚、夜泣き石など三十余りの伝説を収める。伝説の章は調査員の調査をもとに、以前の調査記録も二、三篇併せて載せる。