神鹿を殺して石子詰にされた三作
どんな伝承か
江戸時代、三作という子どもが寺子屋で手習いをしていると、春日の神鹿が入り込んで三作の草紙を食べてしまった。三作が筆を投げつけると(文鎮だったともいう)、鹿の急所である鼻先に当たり、鹿はその場で死んでしまった。神鹿を殺した咎で三作は興福寺大御堂の境内で石子詰めの極刑に処され、そのままそこに埋められた。そこは三作の墓と呼ばれ、母は楓を植えて我が子の菩提を弔ったと伝えられている。
原典より
江戸時代に三作という子供がいた。—— 奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史)
『奈良市史 民俗編――伝説』は、自治体史『奈良市史』民俗編のうち、第十一章「伝説」と巻末の「民俗資料」の冒頭を収めたものである。昭和三十七年から三か年にわたり市内各町の自治会長や古老、社寺を訪ねて集めた伝説に文献の伝えを加え、春日大社・東大寺・興福寺などの社寺や、吉備真備・俊寛・中将姫らゆかりの人物にまつわる話を収める。木・石・塚・水・山・森・社寺・人物・動植物・町名の十節に分け、一話ごとに題を立てて記す。