南部藩が数えた山伏と神子
どんな伝承か
在俗の職業を持ちながら祭りを行い、社寺参詣の先達を勤めるような者を民間宗教者と呼ぶ。具体的には山伏、行人、巫女、念仏聖、陰陽師などがこれにあたる。宮古では陰陽師の記録は乏しく、文化九年に宮古の阿部斎官介が、子の豊道を山田伊豆の弟子とする旨を南部藩の寺社奉行へ届け出た一件が残るだけだという。南部藩が定期的に書き上げさせた宗門帳では、出家・行人・社人・比丘尼と並んで、山伏と神子、座頭と瞽女がそれぞれ一つのまとまりとして数えられており、藩がこれらを同一の組織に属するものと捉えていたことがうかがえる。閉伊郡には南部藩の山伏の約三分の一がいた。
原典より
一般に特定の教団に属して宗教によって生計をたてているものを宗教者と呼んでいる。—— 宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。