別当社僧の復飾と修験の神職化
どんな伝承か
慶応四年四月四日、明治政府は太政官布告により、神社の別当や社僧は還俗のうえ神主や社人となって奉仕するよう命じた。南部藩では明治二年頃から復飾がはじまり、その嚆矢は羽黒派惣頭役の岩鷲山大権現別当大勝寺全教が、権現を岩手神社としたうえで栗谷川対馬と改名して神勤したいと請願したことであった。続いて別当や社僧を務めた真言宗六ヶ寺、天台宗三ヶ寺が復飾し、その中には早池峰権現別当妙泉寺が権現を早池峰神社とし、大沢精一と改名した例も含まれる。江刺県は明治三年春から神社の書き上げを作り、修験が奉仕する社には復飾と神勤を奨励した。宮古の里修験もほとんどが復飾して神職となった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。