羽黒山が出した神子の補任状
どんな伝承か
津軽石の拂川にある大手一男家はいまは神職だが、かつては羽黒派の修験慈眼院を名乗っていた。その慈眼院家には二通の神子補任状が残る。享保一一年のものは「神子號之事 南部閉伊郡津軽石村 寄木」と記し、羽黒山寂光寺と御師真田在庁久武の朱印を据える。延享二年のものは「補任神子號之事 奥州南部閉伊郡津軽石拂川村」に授与され、同じく寂光寺と御師真田在庁永秋が署名している。神子が修験道の本山から正式に認められた巫女であったことを示す文書である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。