神子のいない村が出した願い状
どんな伝承か
享保八年、津軽石村の検断七之丞ら重役たちが連名で、閉伊地方の修験を総括する本山派年行事の寿松院と、宮古通番代の長根村多宝院、八木沢村宝性院に宛てて願い状を出した。津軽石村には神社がたくさんあるのに神子がいないため、縁日や祭礼のたびに脇村から神子を頼まなくてはならず、物入りでとても面倒だという。そこで、往古は神子村であったところの、病死した神子寄木のひこ孫にあたる者を新たに神子として取り立て、一の庭を勤めさせてほしいと願い出た。一の庭を勤めるとは、神子舞を舞うことをいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。