旦那場をめぐる神子二人の争い
どんな伝承か
元文四年、地方給人の田鍍津右衛門は、左りという名の神子が持っていた旦那場を、おそらくその死後に、肘葛村の神子の林に取らせるという手形を出した。守るべき場所は栃木村から下末前村までとされている。ところがこれに肘葛村の神子万日が異を唱え、この地域の修験の役僧であった赤前の真祥院へ訴えた。真祥院は田鍍氏に宛てて、修験者の甚性坊が支配する旦那場の内で勝手に証文を出し、その上山伏や神子から礼物まで受け取るとは何事か、あなたの不法は納得しかねる、仲間と調べて年行事に訴えると、強硬な文書を送っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。