大正の東京で身投げが続いた橋と岸
どんな伝承か
大正十五年の夏、東京の自殺者はほとんどが身投げだった。八月は十日のあいだに十七人、七月の二十七人と合わせて四十四人にのぼる。しかも場所は決まっていて、両国橋、吾妻橋、枕橋、それに向島の岸である。東京で自殺が増えはじめたのは大正の初めからで、大正十年の統計では首吊りが最も多く、次が入水、入水にかぎれば女が男を上回った。夏の夜更け、灯の映る橋の上に立つと死の情景が浮かぶのだろうと、新聞記者は書いている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪の民俗学――日本の見えない空間(宮田登・宮田登・民俗学・昭和(現代民俗学))
民俗学者・宮田登が、妖怪を『日本の見えない空間』の問題として論じた現代民俗学の名著。Ⅰ妖怪のとらえ方では、柳田国男『妖怪談義』の妖怪論(妖怪は出る場所が決まり、零落した神)と、幽霊(都市の人間関係から相手を追って出る)との区別、昭和五十四年に流行した口裂け女(受験社会で母に叱られる子供の心意の投影、『喰わず女房』の鬼女の再来)と産女、島根県松江の雲州皿屋敷のお菊、明治の井上円了の妖怪学と真怪・仮怪の分類を扱う。