青龍寺の神を勧請した醍醐の清瀧明神
どんな伝承か
京都の醍醐の鎮守の清瀧明神は、卜部の説では大己貴命、仏家では金毘羅神という。弘法大師が唐に渡って青龍寺に至り、その神祠に参って仏法が東に広まるよう祈り、帰国ののち上醍醐と下醍醐の二か所に社を建て、青龍の字を清瀧に改めて祀ったという。
原典より
弘法大師入唐して青龍寺に至り其神祠にまうで、仏法東漸の事を祈り帰朝の後、上下の醍醐二所に社をたて、青龍を清瀧にあらため奉る。—— 迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年))
『迷信の研究』は、富士川游が東京の中山文化研究所で監修し、昭和七年二月の緒言を付して世に出した迷信の解説書である。迷信を思考の錯誤ととらえ、その発生の由来を説いたうえで、身体・精神・疾病・妊娠と出産・育児・禁厭・相法・卜占・天文と暦・犯罪・宗教の欄ごとに迷信の事例を挙げ、科学的な説明を加える。同研究所の展覧会に使った説明のポスターをもとに簡潔にまとめ、巻末の奥書に参照した独逸と日本の文献を掲げる。