弘法大師が沢へ投げ落とした鳴沢不動
どんな伝承か
弘法大師が丹生に寺を建てる場所を探しに来たとき、村の名高い大工金助に不動像を彫るよう頼んだ。金助は仕事場にこもって念仏を唱えながら一心に刻み、十五日目にようやく妻が中へ入ることを許されると、生きた不動そのものの像ができていた。大師も像をほめ、大桁山に寺を建てて納めようと山を歩き回ったが、ふさわしい場所が見つからない。望みを失った大師は像を下の沢へ投げ落とし、像は大音響をあげて落ちていった。それからこの沢を鳴沢と呼び、像が落ちた場所に寺を建てて不動を祀るようになったという。
原典より
弘法大師が仏教を弘めようとして、丹生に寺を建てる良い場所をみつけに来たとき、大師は村の大工に不動像の彫刻を頼んだ。—— 富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史)
『富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話』は、富岡市が編んだ市史の民俗編のうち、民俗知識の章の末尾と口頭伝承の章を収めたものである。口頭伝承の章は、昭和四十年代以降の中学校郷土部の採話や額部地区の民俗調査、市史編さんの調査で聞き取った昔話・伝説・世間話と、富岡・甘楽方言の解説から成る。伝説は自然的・社会的・信仰的の三つに分け、羊太夫や小野小町、貫前神社にまつわる話と多くの地名起源を載せる。