十八頭の牛を追った追分の牛方
どんな伝承か
むかし富岡の町の入り口で分かれた古道街道は、富岡川を渡って宝泉寺の門前に出、川沿いに杉内へ向かった。杉内の集落が尽きると追分になり、右へ行けば大河原・坂下・野上を過ぎて古道から川俣、二本松へ、左へたどればメパサマの狭い山道を糠塚に出て毛戸・川内を過ぎ、小野町から棚倉へ通じた。この追分に権助という牛方がいた。先祖は南部乙供出の牛方であったという。鉱山の原鉱石を野タタラまで運ぶのが主な仕事で、金山が廃されると牛十八頭を預けられて運搬業を営んだ。一手綱に六頭ずつ、三手綱十八頭を一人で追い、蹄の割れた牛でなければ越えられぬ阿武隈の山道を、夏は夜を徹して通ったという。
原典より
むかし富岡の町の入り口で分かれた古道街道は、富岡川を渡り、真直ぐ宝泉寺の門前に出て、そこから川沿いの道を杉内の方に向かった。—— 富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説(富岡町(編)・富岡町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説(富岡町(編)・富岡町史)
『富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説』は、福島県富岡町の町史のうち考古・民俗を扱う巻で、ここにはその第九章「昔話と伝説」が収められている。昔話の節は昭和五十八年五月の福島県教育委員会による文化財基礎調査のまとめに町の既刊の話集から数編を加えたもので、麓山の白蛇や、大原の大吉・金平六など名のある狐の話が目立つ。伝説の節には朝賀城哀話、仏浜、戊辰戦争、鉱山、北風薬師などを収め、各話に伝承者の地区と名を添える。