八戸からの書簡が伝えた天明の大飢饉
どんな伝承か
滝沢馬琴らが毎月持ち寄った記事や見聞をまとめた『兎園小説』には、天明三年に奥州を襲った大飢饉の実情を伝える一通の書簡が収められている。八戸の恵比須屋善六という者が江戸の井筒屋三郎兵衛に宛てたもので、人々が山を崩し、子を捨て、ついには死にかけた者まで食べるに至った悲惨なありさまが生々しく書かれていたという。著者は、江戸の随筆のなかで当時の社会の姿を映した数少ない記事の一つとしてこれを挙げている。
原典より
天明(一七八一〜一七八八)の頃、京都に新井謙吉、号を白峨と称する学者がいた。—— 日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。