走水の海に身を投じた弟橘姫
どんな伝承か
焼津で賊の火攻めを切り抜けた日本武尊の一行は、神奈川の地から船で千葉へ渡ろうとしたが、走水と呼ばれる海でひどい時化に襲われた。荒れ狂う海の神の怒りを静めるため、后の弟橘姫は自ら波間に身を沈めたという。その後も戦いを重ねた尊は、碓氷の峠に立ってはるか東南の空を望み、海に消えた姫を思って「吾嬬はや」と三度嘆いた。このことから東国はあずまの国と呼ばれるようになったと伝える。
原典より
景行天皇の二年、后が大変な難産の上、双児(ふたご)の男子を出産した。—— 日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。