本田親徳と狐憑き少女の和歌
どんな伝承か
文政五年に薩摩の加世田で御典医の子に生まれた本田親徳は、十九歳で水戸の会沢正志斎に入門して学問に励んだ。天保十四年、二十一歳で京都の藩邸に身を置いていたとき、狐憑きの少女に出会う。その少女が憑霊の状態になると、たちまち次々と和歌を詠むのを見て強い衝撃を受け、本田は霊界探究の道へ進んだ。のちに『日本書紀』に断片的に残る古代の帰神法の復興を志して各地の古社や霊地を訪ね、慶応三年に鎮魂帰神の法を確立したとされる。
原典より
ところが天保十四(一八四三)年、二十一歳のときに京都の藩邸に滞在中に狐憑きの少女に出会い、その少女が憑霊状態になるとたちどころにつぎつぎと和歌を詠むのに強い衝撃を受け、霊界探究の道に入ったのである。—— 出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元)
『出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』は、武田崇元が著した、大本の出口王仁三郎の予言をめぐる解説書である。開祖出口ナオの神憑かりと王仁三郎の生涯をたどりつつ、日露戦争から太平洋戦争・敗戦に至る予言や、発禁とされた予言詩『瑞能神歌』、『霊界物語』の記述を取り上げる。予言と二度の大本弾圧を軸に歴史との符合を論じ、秘章で入蒙や出生をめぐる謎を扱い、巻末に年譜を付す。