十六歳の水位が父の法で体験した脱魂
どんな伝承か
宮地家の遠祖は日本武尊の第四子とされ、その八代の子孫宮地信勝が山城から土佐へ移って潮江村に住んだのを初めとする。菅原道真の長男に仕えた縁で、道真の死後にその剣と鏡を合祀したのが現在の潮江天満宮に連なるという。宮地水位は嘉永五年十一月八日、土佐国土佐郡潮江村上町で、潮江天満宮の社家に宮地常盤を父として生まれた。幼名は政衛。学を好み、十二歳で神職として仕え、十六歳で藩校に学ぶかたわら砲術取立役に任ぜられ、最初の著述も著したほか、父親の法によって脱魂を体験している。氏子の求めに応じて禁厭治病もよくしたと伝わる。
原典より
一六歳にして藩校に学ぶ傍らすでに同校で砲術取立役に任ぜられ、最初の著述『勧懲黎明録』も著しているほか、父親の法によって脱魂を体験している。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。