死地谷戸の由来
どんな伝承か
天正十三年の元日、唐沢山城主佐野宗綱は元日の出陣をいさめられるのを恐れ、夜中に城を発った。吉水から湧釜(出流原)を駆け足で通り、閑馬の葛和田死地谷戸まで進んだとき、槍持の一兵卒が思いあまって、元日の戦いは不吉な結果になるから日を改めてほしいと諫めた。しかし血気にはやる宗綱の怒りに触れ、その場で手打ちにされ、真っ赤に染まって倒れた。そのためここを死地谷戸と呼び、後に敷谷戸と改められたという。また一説には、宗綱の馬の尾に紐で引かれて走った槍持が、疲れきって川原に真っ赤な血を吐いて死んだからだともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史・自治体史(民俗))
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)』所収の伝説。栃木県田沼町(現佐野市)に伝わる自然・義民・地名・落人伝説を採録する。