稲田の別荘と六日入の地名由来
どんな伝承か
大麻生左衛門四郎が美女を買い得て帰る知らせが届き、七月十八日の朝、郡司の郎党や里の人々が出迎えて小夜姫を館へ伴った。一族は打ち寄って喜び、揚弓や小弓、歌や琴、碁将棋双六と日々慰めたが、姫は何事にも通じており、尋常でない姫君だと皆が感じ入った。八月九日に鎌倉から勅使が下るというので、八日から姫は稲田の別荘へ移された。稲田にいたのは六日だけであったので、この地を六日入と呼ぶようになったという。十五日、姫は暇乞いの歌を詠んで化粧の場所へ送られ、常に離さぬ一寸八分の薬師如来を亡き後もこの地に安置してほしいと言い残し、止々井の大堤へ向かった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。