東北の門を筋違橋御門と名付けた家康
どんな伝承か
新井白石が書き留めたところでは、徳川家康の時代に江戸城の外側の城門を建てたとき、その場所が東北の方角に当たると申し出る者がいた。家康はそれならばと門に筋違い橋御門という名を付けただけで、鬼門だからといって手を加えさせることはしなかったという。著者は、幕府を開いた徳川の祖が鬼門を恐れなかった例として、秀忠の逸話とともにこれを紹介している。
原典より
近くは神祖家康公の御時、外城門を建てられしに、東北の方に當り侍る由を申す人ありしに、さらばとて名を筋違い橋御門と名づけさせたまいしのみ、鬼門とは改めさせたまわざりき。—— 日本の俗信 1――迷信の実態(迷信調査協議会(編)・日本の俗信・1949年(昭和24年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の俗信 1――迷信の実態(迷信調査協議会(編)・日本の俗信・1949年(昭和24年))
『日本の俗信 1――迷信の実態』は、迷信調査協議会が編み、昭和二十四年に初版を出した迷信調査の報告書で、昭和五十四年に洞史社が復刻した。文部省が昭和二十一年に企画し、全国の小学校を通じて行った慣習状況調査をもとに、暦・日の吉凶・方角・妖怪・占い・民間療法・農漁業にまつわる迷信を統計と解説で扱う。第一章を古畑正秋・今野圓輔らの分担執筆とし、第二章に昭和二十四年度調査の手引、第三章に各地の言い習わし集、第四章に天文暦法の迷信の解明を置く。