誓約違反と花嫁を棒でつついた婚礼の夜
どんな伝承か
豊田部落は戸数約六十三戸のうち狐持ちでない家が三軒ほどで、島内で「豊田者」といえば狐持ちと同義であり、「豊田者にかかわるな」という標語めいた言い回しさえあった。その豊田部落が昭和二十五年三月二十日に部落民大会を開き、狐持ち迷信打破の申合せ規約を作った。だが決議から間もなく、部落内のある家の主人が結婚を控えて「私の家は豊田部落の中にはあるが狐持ちではない」と言ったため、誓約違反だと憤激した部落の青年が結婚式の当夜に押しかけ、障子を破って棒を突っ込み、花嫁を突いたということである。
原典より
決議から間もない頃、豐田部落内のある家の主人が、結婚を間近にひかえて「私の家は豊田部落の中にはあるが、狐持ちではないから・・・」と言つたというので、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。