喜十の活躍
どんな伝承か
喜十は急激に発展してきた木綿生産に目をつけた。加茂村付近では年に約二万反もの木綿が生産され、女一人で平均八反を織っていた。藩の許可がなかなか下りないため、加茂村宮前新田の開発資金確保を理由に、安永五年(一七七六)木綿市の開設と木綿他国出切手預、木綿丈尺改判の権を獲得する。加茂の木綿市は大繁昌し、喜十自身も仲買入荷宿となり、他国へ出す木綿一反につき二文の駄別銭で通り切手を売り、品質検査料三文を取る藩権力の代行で莫大な資金を蓄えた。取引先は京都・大阪から播州・越後にまで及ぶ。だが駄別銭の引き上げは木綿仲買人による農民への搾取を強めるだけだった。
原典より
喜十は急激に発展してきた木綿生産に目をつけた。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。