土着豪族の不満
どんな伝承か
加茂の土着の豪農たちは面白くなかった。出雲大社の造営に二五〇俵ほど寄付する金持ちが数人いたなか、木次屋は三八〇俵と抜きんでていたのに田中屋はわずか一〇俵の負担だった。木次屋への反感は歯が立たず、腰巾着の庄屋田中屋喜十へ集中する。文化六年一二月、木次屋はついに一一万五八〇〇貫の負債を残して大阪へ逃亡した。傘を失った田中屋はもろく、土着の豪農や綿作農民、小作人の怨嗟を木次屋の分までかぶり、喜十とその子宇十郎は無実の虚妄説すなわち狐持ち迷信にかかる。文化八年には木綿市場の独占権を奪われ、喜十は文化一一年に失意のうちに没した。
原典より
加茂の土着の豪農たちはおもしろくなかった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。