人狐騒動二つの訴状
どんな伝承か
松江藩預り地であった隠岐島前に展開した人狐騒動について、二通の訴状が島根県立図書館に残っている。一つは西の島宇賀村物井の前原屋万蔵が文政一一年(一八二八)に島前代官所へ提出した「奉差上候演説之覚」、いま一つは万蔵の一門である秀四郎以下一一名が連署して安政二年(一八五五)に再び訴え出た「乍恐愁訴奉願頭書口上之覚」である。いずれも幕末近くのものだが、隠岐で初めての狐持ち誕生にまつわる史料として貴重で、特定の家が狐持ちに指定されていく過程と、村の祈禱師のみならず上級の宗教家が果たした役割が如実に読みとれる。
原典より
いま、松江藩預り地、隠岐島前地方に展開された人狐騒動にかんする二通の訴状が、島根県立図書館に残っている。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。