人狐組合と村方
どんな伝承か
狐持ちへの村八分は隠岐島前の宇賀村と豊田村で典型的な姿をとった。宇賀村物井部落の前原屋万蔵は村方から狐持ちとして排斥され、有力な親戚から絶縁されて家名断絶を憂え、文政一一年(一八二八)に村方を相手取って狐持ち指定の不当性を島前役所へ訴え、形式的には勝訴した。だが前原屋一門の狐持ちが解けたわけではなく、前原屋と徳田屋の一門は「人狐組合」というレッテルを貼られて村方からの差別が続く。ついに騒動が再燃し、万蔵の訴訟から二七年後の安政二年(一八五五)、分家の秀四郎ら一一名連署の長大な愁訴状が島前代官所に提出された。
原典より
狐持ちにたいする村八分は、隠岐島前の宇賀村と豊田村とにおいて、典型的な姿で展開する。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。