狐持ちの噂が招いた隔地心中
どんな伝承か
昭和二十七年十二月の毎日新聞島根版が「思い出のニュース」として伝えた事件である。四月に知り合った大社町の自動車商の男と出雲市の美容師の女は結婚を誓い合ったが、男の両親が許さなかった。女の家が狐持ちだという噂が両親の耳に入り、反対に拍車をかけたのである。二人は男が手に入れた青酸カリを分け合い、遺書や遺髪を取り交わしたうえで、十一月十八日の午後四時、それぞれの家で同じ時刻に服毒して命を絶った。女は晴れ着に薄化粧の姿で息絶えていた。女の家が男の遺品を形見に分けてほしいと願い出ても、狐持ちの噂が障りとなって聞き入れられなかったという。
原典より
操君が手に入れていた青酸カリ一包を二人で分け合い、互いに遺書や遺髪なども交換して自殺の機会を待つた。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。