松尾神社の総寄合と大社の御札
どんな伝承か
組頭を解かれた一門が相談に手間取るうち、八月一日、年寄の伝吉ら村の衆は一門を置き去りにして順風を受けて船出した。船は当初の米子行きをやめて出雲大社へ向かい、十一日に島へ戻ってきた。村の空気は険悪で、何が起きるかわからない有様だった。八月十三日、村役人から総寄合の触れが出て、村の氏神である松尾神社の境内に、狐持ちとされた一門と一般の村人がぞくぞくと詰めかけ、不気味な対立の空気が漂った。村役人は大社から持ち帰った御札や烏帽子を神前に飾り、御札を一枚ずつ配ったうえで、前もって用意していた決議文をおごそかに読み上げた。
原典より
村の氏神である松尾神社の境内には、狐持ちといわれる我々一門と、一般村民がぞくぞくとつめかけ、不気味な対立的空気をかもしていました。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。