弘法大師が書き残したいろは石
どんな伝承か
昔、弘法大師が吉田に来たとき、西の河原で筆をとり、いろは四十七文字を小石に書き残したという。小さな石にいろはが記されたもので、住吉河原や落合河原で稀に拾うことができる。一石に一字か二字で、はっきりしたものは今書いたばかりのように鮮やかだと伝える。落合の河原は多治比川と本川の落ち合うところである。毛利元就が郡山にいたころ、京都から下向した聖護院道澄法親王がこのあたりを逍遙し、「いざ得ばや言葉の花のいろは石吉田かへりの家ずとにせむ」と詠んだという。
原典より
小さい石にいろはが書かれているもので住吉河原や落合河原で稀に拾うことができる。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。