清住寺の観音と美濃柿になった蓮華台
どんな伝承か
天平十二年、行基が吉田に足を止めた時、大河の渕に夜ごと光るものがあると里人から聞いた。籠って祈ると夢に観音が現れて世に出て人々を救おうと告げ、翌朝里人と網を打つと千手観音の像が得られた。行基は木像を刻んでその胎内に納め、堂を建てて祀った。およそ二百五十年後、僧頼円が弟子二人と郡山の中腹の堂に籠ると、大雪で道が絶えて飢え死にしかけた。そこへ老翁が現れて美濃柿を三つ与えて消え、三人は春まで生き延びたが、柿は観音の蓮華台から落ちた三枚の木片だった。天正十九年に毛利輝元が広島へ移そうとしても像は動かず、清住寺の観音堂に祀られている。
原典より
それから約二百五十年たって天台宗の僧頼円が弟子二人をつれてこの御堂にお籠りした。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。