亀山城址を天恩郷と名づける
どんな伝承か
保釈された王仁三郎は、一九二五年の節分祭で弾圧後はじめて斎主を務めた。二月五日には三百余名の信者を率いて高熊山に参り、そのまま住まいを亀岡に移して聖地づくりに取りかかった。少年のころ通いつめた亀山城の跡は同じ月の二十四日に天恩郷と名づけられ、三月には至聖所の月の輪台ができあがった。財政難のさなかの建設に信者は驚いたが、王仁三郎は沈みがちな教団に新しい風を入れ、天恩郷を国の内外へ打って出る拠点とするつもりだった。
原典より
同月五日、王仁三郎は三百余名の信者を率いて高熊山に参拝し、そのまま居を亀岡に移して、亀岡の"聖地"建設を開始し、亀山城址が"天恩郷"と命名されたのは同月二十四日のことである。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。