高熊山に眠る黄金の鶏の謎歌
どんな伝承か
王仁三郎が修業した高熊山について、本人が書き残した説明がある。古くは高御座山と呼ばれ、高座、高倉と表記が移って高熊山になった丹波の山奥の高台で、昔は小幡神社が祀られていた土地だという。武烈天皇が跡継ぎを定めようとしたとき、穴太の皇子がこの山に身を隠して一生を送ったという古老の言い伝えも残る。さらにこの山には古くからの謎の歌があり、朝日と夕日に照らされる高倉の三つ葉躑躅の根元に、黄金の鶏と小判千両を埋めてあると、名の知れない鳥がときおり鳴いて里の人々に告げたと伝わっている。
原典より
『朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ッ葉躑躅の其の下に、黄金の鶏小判千両埋けおいた』昔から時々名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたと曰ふ事である—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。