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七人が溺れた裏鬼門の池

所在地京都府亀岡市曽我部町穴太
年代明治20(1887)
登場上田吉松、喜三郎、幸吉、喜三郎の弟・池で溺れかけた
出典亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界

どんな伝承か

上田家の屋敷の裏鬼門には先祖が掘った灌漑用の池があり、村人の中にもそこから田へ水を引く者がいた。この池ではかつて上田家の者が代々七人も溺れ死に、幼い喜三郎と弟の幸吉も溺れかけたことがあった。危ぶんだ父の吉松が池を埋めようとすると、水を使う村人たちは豪農の斎藤家に集まって反対し、貧農の吉松を見くびって威圧した。斎藤家に奉公していた喜三郎は、体を張って闘うと主人に言い放って飛び出し、その勢いに押された村側が玄米一斗五升を払って池を借りることで決着した。喜三郎は、代償が欲しいのではない、権力を笠に着る態度が許せないのだと言い放ったという。

原典より

この池では、かつて、上田家の者が代々七人も溺死している。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)

『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。

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