厄年の網に上がった弘法大師像
どんな伝承か
崇徳天皇の世、源義家の家臣平間兼豊と子の兼乗は、無実の罪で尾張の領地を追われ、川崎の海辺に住んで漁で暮らしていた。兼乗が四十二の厄年を迎えて弘法大師に祈っていると、夢に大師が現れ、唐にいたころ厄よけに彫って海へ流した自分の像を引き上げて供養せよと告げた。海の光る所へ網を投げると木像がかかり、小堂に安置して供養するうち高野山の尊賢上人が訪れ、ともに一寺を建てて厄除弘法大師の本尊とし、平間寺と名づけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第5巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第5巻』は、叢書「日本伝説大系」の一巻をなす伝説資料集である。埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨の伝説を扱い、二つの太陽、蹴裂明神、ダイダラボッチ、平将門、源頼朝、豪徳寺の招き猫、黒塚、山の背競べ、親捨てなどの話ごとに、口承を重んじて選んだ例話を掲げる。各項は例話に〔類話〕〔文献〕〔参考〕を添え、類話は伝承地ごとに梗概で示し、文献は近世以後の史料を原文で抄出し、柳田・高木の分類による話型名を併記する。