長篠の亡魂を慰める信玄塚の火踊
どんな伝承か
新城市の旧東郷村竹広にある古い塚で、傍らの古松の下に苔むした石仏が立つ。長篠合戦の敵味方数千の戦死者を埋めた所と伝えられ、戦後まもなく無数の大蜂が集まって人を刺したので、戦死者の亡魂の仕業と考え、毎年七月十五日の夜に村人が大松明を振り、鉦や笛、太鼓に合わせて念仏を唱えて踊り、霊を慰めたのが火踊の始まりという。一説には天正三年五月二十一日、竹広の激戦で戦死した武田の勇将山県昌景の首を家臣の志村又左エ門が胴切山の百姓家に運び、庄屋の峰田氏に供養を頼んで落ち延びた。火踊は又左エ門の遺言で行う山県の盆供養だという。峰田家には山県の刀小鳥丸が伝わる。信玄塚の名は津具や田口にもある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知県伝説集(福田祥男・1961年(昭和36年))
『愛知県伝説集』は、福田祥男が昭和三十六年に著した愛知県の伝説集である。尾張・三河の山や海、淵や池、地蔵と観音、石や塚、城跡、地名、動物と変化、植物、祟りと怨霊などにまつわる言い伝えを、原型に忠実に再現することをめざして平易な文で語り直し、話の末に郡市名を添える。山の伝説から其の他の伝説まで十五の部に分け、あとがきでは前年に出した『愛知県伝説集・虹と黒潮』を全面的に改稿し増補したと記す。