器量負けして峠を越えた赤津弁財天
どんな伝承か
昔、黒森峠の西の里、田代高坂村へ伊勢国から佐藤備前が派遣され、伊勢大神宮を勧請して、きれいな巫子を大勢連れて赴任してきた。田代高坂には古くから田代弁天ともてはやされた弁財天が祀られていたが、伊勢から来た巫子たちに器量負けしてもてなくなり、家財をたたんで夜陰にまぎれ黒森峠を東へ越えた。行き着いた先は湖の断崖で、どちらを向いても道はない。身を投げようとしたところ、若い杣人が現れて岬に御堂を建ててくれたという。赤津は田代高坂より郷が広く、弁天はたいそう栄えた。のちに湖の水が減って断崖の景色も失われたので、いつのころか長福寺の境内に堂を建てて遷し祀っている。
原典より
昔、黒森峠の西の里、田代高坂村へ伊勢国から派遣された佐藤備前は、伊勢大神宮を勧請して、きれいな巫子たちを大勢連れて赴任してきた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。