松川で拾われた三宝荒神
どんな伝承か
亀岡入生田の信小屋に三宝荒神堂があり、本殿に三宝荒神を祀る。堂は東向きで田圃の中に立ち、本殿は九尺四方、拝殿は四間に二間の大きさで、明暦年間に屋島家が建立したという。別当は亀岡の行蔵院で、もとは入生田村の西方、高橋地内にあった円学坊が寛政五年九月に現在地へ移されたものである。久しく無住であったところ、会津の修験金蔵法印が文珠堂参詣の折に荒廃を嘆いて再興を思い立った。荒神が部落から離れ、女子が参詣できないのを嘆いていた折、入生田村の百姓が松川の川辺で不動明王の尊像を得た。これを安置したのが三宝荒神の尊像で、霊験は日々あらたかであったという。
原典より
亀岡入生田の信小屋に三宝荒神堂があって、この堂の本殿に三宝荒神を祀っております。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。