生仏と呼ばれた泉岡の徳門
どんな伝承か
徳門は天明元年に上郷村和野で生まれ、泉岡の武田孫右エ門の養子となった。生まれつき聡明で、一を聞いて十を知る人であったという。養家では妻とともに養父母によく仕えたが、もうけた娘を早くに亡くし、無常を感じて漂然と家を去った。湯殿山の仙人沢に籠もって数年、禅の道を修めて山を下り、妻に別れを告げる。家人は還俗を勧めたが志は堅く、手を振り切って再び旅立った。比叡山で禅道の奥義をきわめ、京都嵯峨の大学寺で教えを受けたのち故郷に戻り、いまの高畠町の新藤幸三郎の家を借りて人々を教化した。生仏様と尊ばれ、教えを受けた者は幾千人とも知れず、その徳は出羽一帯に響いたという。安政元年七月十四日、眠るように往生した。
原典より
徳門は泉岡の武田孫右工門さんの養子でした。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。