地名平方に残る平潟城の跡
どんな伝承か
御冷泉天皇の頃、奥州を安部頼義が領していた時代のことである。一本柳村には平潟城があり、屋代郷五千貫を領する殿様がいたと伝えられる。今ではその城の跡もなく、あたりは平らな田園に変わってしまったが、土地の呼び名だけが平方として残っている。城主の名も落城のいきさつも伝わらず、地名だけがそこに城があったことの証しとして受け継がれてきたわけである。
原典より
御冷泉天皇の頃、丁度、奥州を安部頼義が領有していた時に、一本柳村に平潟城があり、屋代郷五千貫を領していた殿様がおったそうです。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。