八的ヶ原で亡霊を見た頼朝の最期
どんな伝承か
建久九年の冬、相模川の橋供養を終えて鎌倉へ帰る途中、源頼朝は八的ヶ原という所で「おのれは義経」と叫んで宙をにらんだ。同時に馬が竿立ちになって駆け出し、頼朝は宙に投げ出されて地に落ちた。駆け寄った家臣たちの前で頼朝は、行家か、恨みがあるなら言ってみよと、うつろな目でうわ言をつぶやき続けた。そのまま意識は戻らず、殺した弟や叔父、御家人らの亡霊に責められるうわ言を四十日間言い続けて、翌正治元年正月に亡くなったという。この話は『保暦間記』に、義平・義経・行家らの怨霊が現れたとして記されている。
原典より
こうしてついに意識を回復しないまま、頼朝はそれから四十日間、自分が殺した弟や叔父、有力な御家人などの亡霊にせめさいなまれるうわ言を言い続けて死んだ。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。