お菊塚
どんな伝承か
番町皿屋敷のお菊は、平塚の新宿の名主真壁源右衛門の娘だったと伝わる。旗本たちがこのあたりに領地を持っていた縁で、お菊は江戸の旗本青山主膳の屋敷へ奉公に上がったが、主人の愛用の皿を一枚割ったとして折檻され、井戸に投げ込まれて命を落とした。二十四歳だったという。亡骸は長持に納められて数日がかりで運ばれ、相模川の馬入の渡しで父に引き渡された。源右衛門は娘を先祖代々の墓地に手厚く葬ったが、処刑された者に墓を建てることは許されなかったため、代わりに傍らへ栴檀の木を植えた。この墓地はお菊の墓地と呼ばれ、跡地の公園に市がお菊塚を建てている。
原典より
水につながる伝説 四七デイラボッチとじんだら沼(相模原市渕野辺) 五五—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。