女夫橋の人柱
どんな伝承か
江戸時代、砂村新左衛門が万治二年から寛文七年にかけて開いた内川新田では、新田を縦断する平作川に架ける女夫橋が最大の難工事だった。ひと雨ごとに川はあふれ、苦心して架けた橋は何度も押し流された。困り果てた里人は、橋のそばに住む日雇い暮らしの家の娘を金で買い、神への供え物にしようと話をまとめた。両親は嘆き怒ったが説き伏せられ、娘も親が里人から責められるのを案じて承知した。美しく装った娘は大きな箱に横たわり、菓子と鉦を渡されて、菓子を食べ終えるまで鉦を鳴らしてほしいと頼まれ、橋の土台の下に埋められた。鉦の音は四日目に途絶え、以来橋は大風雨にも崩れなくなったという。
原典より
坂・谷・島についての伝説 一一五古い屋敷址にまつわる伝説 一二七—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。