浦島寺
どんな伝承か
神奈川の慶運寺の寺伝によれば、浦島太郎は三浦の住人浦島太夫が公務で丹後に長く滞在していた間に生まれた子である。二十歳ほどの頃、釣りで掛かった亀を哀れんで放すと、亀は美しい乙女になって礼をしたいと太郎を竜宮へ伴った。三年が過ぎて父母を恋しく思い暇を告げると、乙姫から玉手箱と聖観世音菩薩像を渡された。丹後に帰ると父母は三百年も前に亡くなっていた。菩薩のお告げで父の墓が武蔵国霞ヶ浦(のちの浦島ヶ丘)にあると知った太郎は、墓の傍らに庵を結んで像を安置し父を弔った。この庵が観福寿寺となり、明治の廃寺後に像は本寺の慶運寺へ移ったため、同寺は浦島寺と呼ばれる。
原典より
浦島寺の狸と夜泣き石(横浜市神奈川区) 一六五無量寺の不動明王(横浜市南区蒔田町) 一六九東樹院の文福茶釜(横浜市南区笹下町) 一七三源範頼と大寧寺(横浜市金沢区片吹町) 一七七石老山の源海上人(津久井郡相模湖町) 一八…—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。