源範頼と大寧寺
どんな伝承か
建久四年八月、兄頼朝の疑いを受けた蒲冠者源範頼は、梶原景時の軍勢に伊豆修善寺で攻められたが、身代わりを立てて小舟で脱出した。従う者はわずか四人。上総の里見家を頼るつもりが海が荒れ、追われるように浜に上がったのが追浜の地名の起こりという。義侠心に富む漁師平兵衛は一行を二段になった山の洞穴にかくまい、追手が迫ると鉈で次々に斬り倒したので、その地は鉈切と呼ばれた。範頼は二年前に自ら建てた金沢の薬師寺へ移ったが、頼朝の怒りが解けないと悟り、脱出から三週間余りの八月二十四日に割腹した。その戒名にちなみ、寺は以後大寧寺と呼ばれるようになったという。
原典より
堂に火を放って自害 建人四年(一一九三)八月二日、頼朝の腹心梶原景時の配下五百騎は、伊豆・修善寺に蒲冠者源範頼を襲った。—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。