子生山
どんな伝承か
鶴見の小高い所に、堀川天皇の勅願所で名高い観音堂があり、子生山東福寺と呼ばれた。文明年間のこと、稲毛領主の家中の松井家に婿養子として入った佐五郎が、旅の途中で無頼漢の蛇窪嘉四郎に暗討ちされ金を奪われ殺された。妻お道は姑に嘉四郎への再嫁を迫られて堪えかね、我が子を子生山観音堂の傍に籠に入れて捨て、自らは鶴見川に身を投げた。その子は観音の授け子として大力の牛留東作夫婦に拾われ、米松と名づけて育てられ、優れた力量で身を立て、やがて仇の嘉四郎を討ち果たしたと伝わる。
原典より
新田神社緣起榧寺緣起柳樽第四編隅田川梅柳新書時雨の笠森江戶美人照子池浮名寫繪復讐猫魅橋由來女船頭矢口渡場繪本在原草紙—— 江戸傳説(佐藤隆三) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
江戸傳説(佐藤隆三)
『江戸傳説』は、佐藤隆三が著した江戸と東京の伝説集である。将門の首塚、番町皿屋敷、お玉ヶ池、置てけ堀、縁切榎、矢口渡など、市中と近郊の塚・池・坂・井戸・寺社にまつわる由来譚や、化け狐・猫又の怪異を、『江戸名所図会』『将門記』などの記録を引きつつ語る。目次に四十の項を番号順に並べ、口絵の図絵と目次番号に対応した伝説分布図を添え、巻末に資料参考書目を付す。