宮古・狩俣村の造船と霊石
どんな伝承か
竹富島の造船の話と同じ話が形を変えたものと思われる伝えが、宮古島の仲間御嶽にも残っている。狩俣村に小舟を造るのが好きな子供がいて、父が中山へ出かけた留守に父の船をまねて小舟を作り、父を思いながら毎日海に浮かべて遊んでいた。ある時風波が荒れて子は溺れ死に、小舟だけが百里の海を漂って那覇の港にたどり着いた。父が拾い上げると、形が自分の船と同じうえに仲間御嶽の霊石が載っていたので、わが子の運命を悟って驚き、小舟と霊石を持ち帰って今も尊んでいるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。